やまなしお城10万人ACTION|天守閣など甲府城復元・整備推進「あなたの署名をお願いします!」

署名活動趣意書

天守閣など甲府城の復元・整備を求める署名活動趣意書

 県都である甲府駅の北口では市街地整備が進み、開館一年で入館者数が100万人を超えた県立図書館や歴史公園を核に賑わいが戻りつつあります。甲府駅南口では県防災新館・ジュエリーミュージアムや市庁舎が竣工し、県庁のオープン化(公園化)や山梨近代人物館の整備など修景事業がスタートしています。さらに、お城フロント整備のため県民会館や県庁東別館の取り壊しも始まり、甲府税務署跡地活用など甲府城を核にまちづくりの機運が盛り上がってきました。

 甲府城は、16世紀末ごろ豊臣秀吉の義弟で五奉行の筆頭家老であった浅野長政・幸長父子によって築造された城であり、豊臣政権下においては徳川家康を江戸に封じ込める要所として、また徳川政権下においては江戸を守る軍事的要衝として位置づけられ、その規模は全国で6番目、関東では江戸城に次ぐ大規模なものです。「甲府城調査検討委員会」によれば、天守台付近から1.32mの金のシャチ瓦の一部が出土し、その大きさから約30mの建造物(天守閣)の存在が類推できると報告されています。また、城郭建築の権威である広島大学の三浦正幸教授は、「甲府城は浅野氏築造の紀州和歌山城や当時の建築様式、現存する天守台の規模・格式などから5階建ての望楼型の天守閣が存在したと考えられ、わが国十指にはいる名城であった」と述べています。残念ながらこの天守閣は豊臣から徳川へと政権が移る中、関が原の戦いで徳川方についた浅野氏が恭順の意を示すため自ら破却したのではないかといわれています。その後、甲府城は徳川家一門が城主となり、6代将軍家宣は甲州様といわれました。しかるに、明治元年には板垣退助の無血入城を経て、明治6年の廃城令によって廃城処分にされてしまいました。

 近隣の松本城(長野県)の例を見ると、平成21年度の入館者数は85万人を超え、歴史資料・教材として、子どもから大人まで、国内はもとより世界中の人々に愛されています。甲府城は松本城の4倍の規模の城であり、安土・桃山時代という激動期の歴史遺産としてきわめて高い価値を誇ります。城郭復元・整備にあたっては、すでに山手渡御門、鉄門、稲荷櫓など五つの城門・櫓が当時の姿で復元されており、天守閣等については石垣をはじめとする遺構を破壊することなく歴史に極力忠実に整備し、次代を担う子供たちの教育施設として品格のあるまちづくりのシンボル機能を果たしていきたいと考えております。

 県都のランドマークである天守閣など甲府城の整備を進め、県民の誇り・故郷への愛着・まちを愛する心の醸成につなげ、郷土山梨の発展を確かなものにしていく一助となるものと考えております。ご署名活動にご支援ご協力をよろしくお願いいたします。


- 天守閣など甲府城復元・整備推進会議 -

[ 呼びかけ人代表 ]

金丸康信 甲府商工会議所会頭

伊藤 洋 山梨県立大学学長

進藤 中 甲府商工会議所副会頭

丸茂紀彦 新世紀甲府城下町研究会会長